こんにちは きよ です。
3/7(日)13:00頃
クックが、虹の橋に旅立ちました。
前記事通り食欲がなく、かかりつけの病院が土曜までお休み中でした。
ののさんが色々と工夫してくれて、様々なモノを流動化して舐めさせてくれていました。
水は飲ませると何とか飲んでいたし、あまり食べていなかったし、飲んでいなかったけど、おトイレは大小なんとかできていました。
土曜まで凌ぎ、病院へ連れていくと、点滴と注射を打ってくれました。
すると、その夜(2/27)から少し回復し、ふやかしご飯も食べるようになってくれました。
少し回復の兆しが見えたので、私たちも大変喜びました。
日曜も、月曜も点滴をしてもらいました。
火曜と水曜は病院がお休みでした。
木曜は、また少し食欲が落ち、点滴と注射。
金曜は点滴。金曜の夜はふやかして、つぶして、丸めたサツマイモを少し食べました。
土曜は、私も小羽を連れて、のの家に・・・朝はサツマイモを少し食べました。そして病院で、注射と点滴。
土曜は、お昼も夕方もサツマイモをそれなりに食べました。(3/6)
私は、土曜の病院と夕ご飯が終わったところで、いったん小羽を連れて、きよ家に帰りました。
本当は、ずっと、のの家に居たかったのですが、のの家は緊急事態宣言下ですので、一応帰ることにしました。
そして日曜、、、
午後一時過ぎ、ののさんが泣きながら電話してきました。
「くっちゃんが・・・」
その日は、クックの子供たちであるジジ、ココ、ヨウをトリミングに連れて行く日でした。
その準備のため1階と2階を行き来していたそうです。
クックは、朝ごはんはあまり食べなかったけど、土曜に結構食べていたし、ゆっくり寝ていたそうなので、そっとしていたそうです。
2階に上がった時に、クックがおトイレで倒れていたそうです。
いつも寛いでいる場所が、少しオシッコで濡れていたみたいで、きっとオシッコに少し失敗して、がんばってトイレでしようと移動したんだと思います。
ののさんから連絡をもらい、すぐさま小羽も連れて向かいました。
(死に目に会えないのは、もう覚悟はしていました)
連絡を受けて1時間後に到着しましたが、まだほんの少し温かみが残っていました。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになってしまいました。
悪性リンパ腫と診断されて4年3か月・・・
本当に良くがんばってくれました。
リンパ腫で苦しんだり、痛がったりすることは一度もありませんでした。
一時期は、リンパ腫の腫れが引いて寛解したのかと思ったりしこともありました。
それでも病院の先生からお悔やみを言葉と一緒に「この手の病気で、こんなに持った子は初めてです。よく頑張りましたね」と言われました。(亡くなった日の夕方も通院予約していたので、お断りと報告をしたんです。)
翌日の月曜、午後3時に近くの斎場で火葬してもらいました。
私もののさんも午後お休みをもらい、涼はちょうどお休みだったので3人で見送りました。
クック、今まで本当に良くがんばってくれました。
ありがとうね。
ジジ、ココ、ヨウのことは任せてね。
虹の橋で、チップ、リーフと一緒に待っててね。リーフと喧嘩しちゃダメだよ。
この下の方に、クックが亡くなった時の写真等を貼っています。もし、そういう写真が苦手な方は、下にスクロールしないでください。
目が少し開いているのは、閉じきれなかったからです。
沢山あるクックの下僕たちの一部を傍に起きました。
お骨がどれか分かり辛いけど、白玉模様の服を着せています。
白と紫のお花は、かかりつけの病院から送られてきました。
斎場では、火葬するときは、人と違いお供え物を一緒に焼くことが出来ないので、下僕たちは、持ち帰りになり今もクックの傍にいます。
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